キャロライン・アスター

1830

キャロライン・アスター

セントレジスで特に大切にされているリチュアルの多くは、黄金時代の女性リーダー、キャロライン・アスターの飽くことない独創的精神からインスパイアされて誕生しました。アスター夫人は400人もの知人、友人、著名人だけを選んでプライベートなティーパーティー、晩餐会、盛大なガラパーティーに招待し、米国初の上流社交界を築きました。ありとあらゆるアーティスト、先見者、インフルエンサーがその仲間入りを目指して競い合い、アスター夫人の社交界は発展を遂げて、初めて本格的なニューヨーク社交界の表現を形成しました。

1904

類まれな人生

1904年、キャロライン・アスターの息子、カーネル・ジョン・ジェイコブ・アスター4世がセントレジス・ニューヨークを創業し、たちまち『ニューヨークタイムズ』紙から「全米最高のホテル」と評される。先見性のある発明家であり、起業家であったジョン・ジェイコブ・アスターは創業当初から、贅沢を極めるだけではなく、先進テクノロジーの導入にこだわり、各室への電話の設置を要求しました。アスターは1912年4月15日のタイタニック号沈没事故で死亡しました。1世紀以上を経て、タイタニック号の最も富裕で有名な乗客の一人であったアスターのレガシーは、セントレジスの持続的な成長と発展を通じて今も生き残っています。

1932

あふれる魅力

セントレジス・ニューヨークが、伝説的なアーティスト、マックスフィールド・パリッシュが描いたオールド・キング・コールの壁画を披露。この代表的なアート作品は、セントレジスホテル&リゾートの多くの宿泊施設の随所に飾られている壁画のモチーフになっています。

1934

オリジナルのブラッディーマリー

セントレジス・ニューヨークのチーフバーテンダー、フェルナン・ぺティオが考案した代表的なカクテル、ブラッディマリーは、世界中のセントレジス・ホテル&リゾートへと受け継がれ、そこだけで味わえる独自のブラッディマリーが生み出されていきました。

1999

進化するレガシー

セントレジスは1904年にラグジュアリーホテルの定義を一新しましたが、この典型的なライフスタイルは100年以上を経て、世界40か所以上のセントレジスホテル&リゾートに拡大し、受け継がれています。

2010

セントレジスのカナサー

セントレジスは2010年にカナサープログラムを開始し、初代カナサーにはアルゼンチンの有名なポロ選手、ナチョ・フィゲラスが任命されています。今日、このプログラムには革新的な精神と卓越した伝統を分かち合う、優れたラグジュアリーファッションデザイナーや著名ミュージシャン、傑出したトレンドメーカーなどが名を連ねています。

今日

洗練された生き方

セントレジスにとっての洗練された生き方とは、お客様、特にご家族連れのお客様の思い出に残る体験をお届けすることです。そこで、滞在先を本来の形で体験することによって絆を深めることを目指した「ファミリートラディション」プログラムを考案しました。